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ドゥカティ

ドゥカティの歴史

ドゥカティ(Ducati)は、オートバイの製造、販売会社で、拠点はイタリアのボローニャにあります。

イタリアの名家であるドゥカーティの一族のアントーニオ・カヴァリエリ・ドゥカーティは、1880年頃から発明家、技術家として工場を経営し、その後、電機関連事業へと参入していきました。

アントーニオの息子であるアドリアーノ・カヴァリエーリ・ドゥカーティは、電気に深い関心を持ち、イタリアの無線研究家、発明家であるグリエルモ・マルコーニの影響を受け、アメリカ合衆国との交信にも成功しました。

無線通信や放送事業に将来性を見出したアドリアーノは、1925年に兄弟のブルーノ・ドゥカーティ、マルチェルロ・ドゥカーティと共に「ソチエタ・シエンティフィカ・ラディオ・ドゥカーティ」を設立し、1926年に「ソチエタ・シエンティフィカ・ラディオ・ブレヴェッティ・ドゥカーティ」と改名しました。

ドゥカティとバイク

電気製品を中心に製造していたドゥカティですが、トリノのシアタというメーカーが発売した原動付き自転車「クッチョロ」が大人気となり、1946年にドゥカティで、そのエンジンを生産することになりました。
更に1947年には「クッチョロ」の販売権も得ました。

「クッチョロ」は25万台以上販売することとなり、ドゥカティのバイク製造のきっかけとなります。
会社が大きくなったため、1953年には、通信機器部門とオートバイ部門に分かれました。
通信機器部門は、現在も運営されており、電気部品製造をおこなっています。

1983年には、イタリアにかつて存在していた二輪車メーカーであるカジバ(Cagiva)と提携しますが、資金難に陥ったドゥカティは1985年にカジバに買収されました。
しかし、カジバが経営危機に陥り、1996年にはアメリカのテキサス・パシフィック・グループの傘下となりました。

2012年には4月にドイツの四輪車メーカーのアウディによって買収されたため、フォルクスワーゲングループの傘下となりました。

レースへの参戦

ドゥカティは長年レース活動に積極的に参加しており、レース活動で得たデータを市販車の開発に活かすことを得意としています。
他のメーカーでも、レース活動からから得たデータをフィードバッグして活用することはありますが、ドゥカティほどではありません。

最高峰クラスのWGP500ccクラスの2ストロークエンジンが、2002年度より4ストロークエンジンのMotoGPへと移行しました。
ドゥカティは2003年から、ロードレース世界選手権のMotoGPクラスに参戦を開始し、5年目の2007年に初のチャンピオンを獲得しました。

スーパーバイク選手権では、1988年から2010年までの23シーズン、ドゥカティはワークス参戦を続け、計13回のライダーズチャンピオンを獲得しました。
1000ccのVツインエンジンを搭載するドゥカティのワークスマシーンは、長い期間他を寄せ付けない強さを発揮し続けました。